福岡の小学校の卒業式が終わりました。
私たちの薬局スタッフの子では、我が家の息子も含め4名が小学
成長して嬉しいような、少し寂しいような、時間の流れが速く感じるような、
いろんな感情が湧いてきます。
私が大好きな本の一つに『河合隼雄の幸福論』という本があります。
この本の中に、
「親が子どもの幸福を勝手に作り出し、それを子どもが幸福だと信じることで、
自分が安心したがっているのではないか、考える必要がある」
そして、
「子どもの幸福の一番大切なことは、子ども自身がそれを獲得するものだ、ということである。
とは言っても、それを「見守る」ことは、何やかやと子どものためにおせっかい焼きをするよりも、
はるかに心のエネルギーのいるものである。」
とあります。
私もつい勉強や行動に対して口酸っぱく言ってしまいますが、
それは子どもたちが自分たちの、
親の思い通りに動かないことに対しての苛立ちをぶつけているだけだと反省することも多々あります。
いつだったか、
息子が小学校で習った新川和江さんの詩「わたしを束ねないで」を読んでくれたことがあります。
河合隼雄さんもこの本の中でその詩を取り上げています。
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください
わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
「優等生」とか、ある種の「勲章」とかも、その人にピン止めをしているのではないか。
その時は美しく見えても、それがその人の自由や行動を制限するものになっていないか。
河合隼雄さんはそう危惧していました。
大人になればなるほど、人はいろんなものに「束ね」られます。
だから、せめて子どものときにはできるだけ「ピン止め」せずに、自分の世界に没頭し、
それを広げてもらいたいと思います。
偶然なのですが、
このウクライナ戦争が始まる少し前からロシアの作家トルストイの『戦争と平和』を読んでいました。
この本は、ナポレオン率いるフランス軍がロシアに侵攻してきたところが市民目線で書かれています。
最初は普通の小説のようでしたが、
4巻から急にトルストイの解説が入ってきます(光文社古典新訳文庫)。
戦争はこの世で一番忌まわしい事業だ。戦争をゲームにしないことだ。
戦争の目的は殺人だ。
ボロジノの会戦でナポレオンは誰にも鉄砲一つ撃ってはおらず、誰一人殺していない。
すべては兵士たちが手を下したのだ。
ドラマ『ミステリと言う勿れ』でも、バスジャック犯が、
「逃げた奴のせいで他の奴が死ぬことになる」と言ったことに対し、整君が言いました。
「責任転嫁しないでください。手を下したのはあなたです。」
兵士は上の命令だから殺すのか。自分が殺そうと思って殺すのか。
どちらにせよ、殺したのはその人であり、その苦悩はその人にしかわからない。
殺された人の家族や友人の本当の苦しみも、その人たちにしかわからない。
指示を出しているだけの人にはわからないのです。
トルストイは戦争を通して、人々の苦しみや愛について書いています。
ロシア軍の総司令官クトゥーゾフ将軍は、
フランス軍が撤退するときに追い打ちをかけてナポレオンを捕えなかったことから、
ナポレオンにビビったとか、ナポレオンと密約をしていたんじゃないかとか
後世の歴史家からもいろいろ言われたようです。
でもクトゥーゾフ将軍は国民の感情を知っていた。国民が何を望んでいるのか。
だから人間を殺し滅ぼすのではなく、救い憐れむことに最後まで力を傾注した。
新型コロナウイルス感染症や地震などの自然災害は何の慈悲もなく人の命を奪いますが、
戦争だけは人が防げるもの。
どうせいつかは太陽も地球も無くなるのだから(何億年後かもしれませんが)、
それまでみんなで仲良くできないものか、
というのは平和な日本に住んでいる自分のエゴでしょうか。
坂本龍一さんの「Merry Christmas Mr.Lawrence(戦場のメリークリスマス)」をピアノで練習して、
昨年12月の発表会(コロナ過でビデオ撮影会でしたが)で弾きました。
クリスマスシーズンの雰囲気は好きですし、
子どもたちがプレゼントをもらって喜ぶ顔を見るのはなにものにも変えられない喜びではありますが、
その一方、新型コロナウイルス感染症だったり、戦争だったり、飢餓だったりと、
困難な状況と闘っている人たちがいることを忘れないためにも、
自己満足ではありますが、これからも指が動く限り、この曲を弾き続けようと思っています。
ありきたりな言葉ではありますが、世界が平和になりますように。
世界の子どもたちがつばさを広げて自由に羽ばたけますように。
卒業おめでとう。
勢島 英